2019年02月03日

斎宮歴史博物館(旧伊勢街道番外編)


斎宮と聞いてもピンとくる人は
よほどの平安時代好きか百人一首好きな人くらいしかいないと思いますが

歴史的に言えば飛鳥時代
記録としては伊勢神宮天武2年、娘の大来皇女を伊勢神宮に遣わしたのが斎王制度の始まりと言われています。



有名な人物は百人一首的に言えば

伊勢物語にも描かれている恬子内親王
藤原道雅との恋の噂があった当子内親王

話は外れて
この藤原道雅がどんな人だったか?と言えば

百人一首では
『今はただ 思いたえなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな』
最後に一度だけ会って「この恋は諦める」と伝えたいだけなのに・・・
と身分違いの恋をうたったと言われています。
というのも
斎王は退下した後は生涯独身を貫くか?天皇の後宮に入るか?のどちらかでした。
だから道雅にとっては文字通り高嶺の花だった。

道雅の方はと言うと
祖父は藤原道隆で一条天皇の叔父にあたる人です。
叔母には藤原定子、一条天皇の中宮だった人です。
藤原定子と言えば女官に有名な清少納言がいました。
これだけでもすごい家系だけどね・・・
道雅の父親が問題を起こして没落してしまいました。

俗に言う『荒三位』と呼ばれる道雅の呼称は、
当子内親王との仲を裂かれた後、
当子内親王が出家し、23歳の若さでこの世を去った後
素行の悪さが目立ったことから付けられたと言われています。


満足したので話は戻ります。



この斎王が暮らしていた斎宮が実は伊勢市のお隣 ”明和町” にあったわけです。
場所的に言えば旧伊勢街道上の竹神社の辺り

じゃあなぜ今になって騒がれ始めたかと言えば
昔ながらの社の作りだったため、斎王制度廃止後土台すらない建物はすべて無くなった
ここ数十年調査発掘をした結果、昔の柱を立てていた形跡があったことからここが斎宮であったと言われています。
竹神社も元をたどれば斎宮に由来のある神社だったとも・・・

c_P1170959.JPG


現在では、元あったと思われる場所に当時を再現した社が建てられています。
この真ん中の建物のこだわりは、昔の道具で全て作ったとのことで
実際に触ってみると表面が若干ボコボコしています。
しかし、元の建物の資料があまりにも無いために予想との事ですが・・・



近くには博物館もあり
ここから出た出土品なども展示されています。

c_P1170952.JPG

京都から5泊6日で斎宮まで来たという記録もある事から(実際は5日目に到着したとも)
旧伊勢街道とは違う道があったのではないかと想像ができます。
歴史ロマンが詰まったこの場所、伊勢神宮に行く前に見に行ってみてもいいかもしれません。

問題は近鉄急行が止まらないところ
松阪から伊勢神宮外宮との中間地点(大体10km)の位置なので
徒歩で伊勢神宮に行く際は丁度よくここで休憩できるのでお勧めです。
係の人の反応を見る限り歩いてきた人はほとんどいないですが・・・
posted by MaRio at 23:40| Comment(0) | 中の人 | 更新情報をチェックする
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